2回目の投稿になります。
人とそれなりに繋がれるようになってから自分が出来ないこと、分からないことがたくさん可視化されるようになった。社会と距離を置いていたことで生じた痛みみたいなもの。そんな痛みみたいなものでまた動けなくなってしまうことが怖かった。だから、繋がりの中で自分の前に置かれたことに対して、出来るか出来ないか、については深く考えないようにして、とにもかくにも「やる」とだけ決めてしゃにむに生きた。人前で自分を晒すことも200%の力でやってきた。それが良かったか悪かったかは正直分からない。無理やりな生き方でたくさん傷付いたり、たくさん傷付けたりもしたように思う。ただ、そんな生き方じゃないと出会えなかった縁はたくさんあったし、今まで経験してこなかったことにも出会うことが出来た。カラオケだったり、カツオの塩たたきだったり、初詣だったり、友との焚き火だったり。みんなそれなりに経験しているであろう何気ない日常の一部を少しずつ自分の中に収め生き直してきた。そんなこんなで少しずつ賢くなって、それなりに力も抜けてきて、それはそれでいいことなんだと思うけれど、余裕が出来たことでまた可視化されることも増えてきて、3歩進んで3歩下がってるなぁ、元通りじゃん、なんて感じることもあったりする。けれども、それはいまだに自分と他人を比べてしまう生き方のクセのようなものの話しであって、その一方で何も出来ないと思いこんでいた自分をどうにかこうにか、ときにはだましだまし、ときには強く強く前のめりに信じて身体を動かし続けてきた結果、僕はあのときから6歩動いたんだよなぁ、とも捉えられるようになった。
これもひとつの成長なのかもしれないと思うし、そう信じ、人や社会と関わっていきたい。