「居場所」は本人が元気になるための、ただそこに居ていい場所。本人が自分自身に居てもいいと思える場所、そう思えるようになることが目的のように思う。逃げ場がなければ逃げてきていい場所。ただ元気になるためと言っても、それは本人が感じることで、静かにしていても元気が戻っている時もあるので、傍から見て明らかに快活さを感じられるものではない時もある。何となく落ち着いて、何となくいてもいいのだと思えることが大切ではないだろうか。

 最初は人といることすら儘ならないかもしれない。もしかして、人といることが落ち着くことが出来ないと解って、やはり自室に安心・安全を感じる人もいると思う。その間を行ったり来たりして、何か自分の調子を取り戻していく人もいると思う。静かに動いて安心して行ったり来たり出来ればいい、そんな場所。

 僕は昔、安心して居られる場所が無かった。なぜなら一人になっても焦って不安で、親の期待に添わないといけないと思っていたからだ。結局無理して働いて自殺未遂をした。そんな自分からしたら、当時「居場所」があれば救われていたかもしれないと思う。もしかしたら焦るばかりでどうにもならなかったかもしれない。よく解らない。自分自身に安心していいと自分が許可する事はとてもとても難しいことだと思うから。もしかしたら僕は居場所があっても安心する事の出来ない人だったかもしれない。それでも自分が安心できる、自分が居ていいと納得できる場所になる可能性はあったかもしれない。それはほんの少しの確立だったかもしれないが、少しの希望にはなったのかもしれない。上手くいけば、自分が納得して動き出せていたかもしれない。本当に自分が納得して動くことはとても難しいと思う。安心していない時にも焦りが無理に本人を動かすことはよくある事だと思う。居場所があっても得難い本人の安心感。その難しさの中でも少しの希望となるように安全でなければならないと思う。完全に自分自身の安全を担保されている場所など何処にもないかもしれないけれど、それでも安全の確率はとても高い所が居場所らしさだと思う。

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